パワハラ110番

"超人"と"末人"という考え方

会社でパワハラの被害に遭い続けていると、
「自分は何のために会社に行っているんだろう」という思考から始まって
「自分は何のために生きているんだろう」
…というところまで思い詰めてしまうこともあるでしょう。
この問いは、古来より多くの学者たちが挑んできたテーマであり、
万人に共通する明確な答えは決して見つからない問いでもあります。

 

そんな中、ニーチェが出した答えは、
「人生に意味などない」というもの。
身もふたもない…と思われるかもしれませんが、
彼は、「人生には意味はない」と断言した上で、
「じゃあ、その意味のない人生にどうすれば価値を与えることができるか?」
…ということを真剣に考えたのです。

 

ニーチェは、人生の中で遭遇するいかなる苦しみにも耐え、
それでもその無意味で辛い人生を肯定し、
「この人生が良かった!」と受け入れることができる人を「超人」と呼びました。
そして、その対極にある人…つまり、自身の人生を悲観し、
目的もなくただ生きる人のことを「末人」と名付けたのです。

 

パワハラを受けていると、人は自分の人生を肯定できなくなります。
仕事に対するやり甲斐も、生きる目的も見失い、
それでも「お金をもらうため」に上司の顔色をうかがい続けるのです。

 

これは、超人ですか?それとも末人ですか?

 

生きる目的が見つからない

言うまでもなく、私たちが生きるこの世界には苦悩があふれています。
人はみな、「平等」を主張しますが、実際は全く平等ではない!
パワハラのターゲットにされる人もいれば、
上司に恵まれてあれよあれよと言う間に昇進する人もいます。
運が良い人もいれば悪い人もいて…非常に理不尽な世の中なわけです。

 

その事実だけに目を向けていれば、人は皆、生きることに不安や不満を覚えるでしょう。
苦しみばかりあふれていて、不平等で、意味のない人生なんて、
「生きているだけ時間のムダじゃないか?
私たちは結局、死ぬ順番を待っているだけなの?」
…と悲観的になっても無理はありません。

 

しかし、そこで腐ってしまっては"末人"止まりです。
ニーチェの言う"超人"は、そこで人生を諦めたりはしません。
「意味がないなら、自分で意味を作れば良い!」
…と、何の保証もなり自身の人生を肯定し、自分を奮い立たせて生き抜こうとします。

 

こうした考え方は、パワハラを乗り越える上でも参考になります。
被害者であることには違いありませんが、
だからといって卑屈になったり暗い気持ちになったりしていても、
得することは一つもありません。

 

それならば、"末人"は卒業して"超人"を目指す方が建設的ではありませんか?
だらだらと続く"毎日"に意味を見いだせなくなったら、
ニーチェの思想を思い出してください!

「ラクダは獅子に、獅子は小児になる」

ニーチェが説いた理論に、「精神の三変様」があります。
これは、人の精神の独立の過程を表したもの。
具体的には…

 

☆第一段階:重い荷物を背負って砂漠を進むラクダ
=古い価値観に縛られていることを表現しています。
このままいくと、末人ですね…。

 

☆第二段階:伝統や権威を倒すために戦いを挑む獅子
=独立の精神を意味しています

 

☆第三段階:無邪気な小児
=新しく始めることの象徴。"聖なる肯定"を意味します

 

 

ラクダのように毎日のパワハラにじっと耐えていても、
自分の人生を消耗するだけで新しいものは何も生まれません。
末人のまま、人生が終わってしまうだけです。

 

思い切って、獅子のように自分の欲するものに貪欲になってみませんか?
縛られていたものから自分を解き放つことで
今まで否定し続けることしかできなかった自らの人生を
肯定的に受け入れることができるようになるかもしれません。